836話 ヘイレンとトゥーリが争っている中、料理人は助手に皇帝を呼んで来てと頼みました。
◇治療の拒否◇
ゲスターの侍従が
タッシールの侍従のせいで
死ぬかもしれないという
とんでもない報告を聞いたラティルは
仕事の途中でしたが、席を立ちました。
話を伝えた侍従が、
半開きの扉を指差すと、
扉の後ろで料理人の助手が
苛立たしそうに
行ったり来たりしているのが
見えました。
サーナット卿は、
自分が行って来ようかと
慎重に尋ねました。
ヘイレンが吸血鬼であることを
彼も知っていたからでした。
しかし、ラティルは
残りの仕事と時計を確認した後、
立ち上がり、
自分が行って来ると言いました。
ハーレムに入ると、
雰囲気がざわついていました。
ラティルは事件が起きたという
共用の台所に行こうとしましたが
通りをウロウロしていた使用人が
近づいて来て、
ゲスターの部屋を指差しました。
すでに、トゥーリを
そちらへ移したようでした。
ラティルは、ゲスターが
別の美しい外見で、戯れに
自分を魅了したことを思い出すと
彼の顔を見るのが嫌でしたが、
一体何が起こったのか心配だったので
ゲスターの部屋に行きました。
トゥーリは自分の部屋ではなく
ゲスターの部屋のベッドに
横たわっていました。
ラティルが中に入ると、
無表情のタッシール、
緊張しているようなヘイレン、
深刻な表情の宮医、
そして焦っているザイシンが
同時に挨拶をしました。
宮医はトゥーリを治療していて、
助手が血まみれの包帯を
バケツに入れていました。
ラティルはベッドのそばに近づき、
トゥーリを見下ろしながら
ザイシンが治療したらどうかと
尋ねました。
包帯を巻いたにもかかわらず、
トゥーリのお腹からは
血が滲み出ていました。
ザイシンは、
自分もそうしたいけれど
トゥーリが治療を拒否していると
憂鬱な声で答えました。
実際、彼は何度もトゥーリに
治療させて欲しいと訴えましたが、
トゥーリは、その度に目を見開いて
拒否しました。
人間の患者に拒否されるのは、
ザイシンも初めてでした。
ラティルはトゥーリに近づき、
気は確かなのか、
なぜ拒否するのかと尋ねました。
ゲスターに聞いてもいいのだけれど
ラティルは、わざと
そちらを向きませんでした。
トゥーリは意識がなさそうでしたが
すごい精神力で目を見開くと、
ヘイレンが自分をこんな風にした。
簡単に治して
それを忘れたくないと答えました。
トゥーリの目に涙が溢れ
あっという間に
ぽたぽたと流れ落ちました。
それから、トゥーリは
うちの可哀そうな坊ちゃんは
人々に無視されていると言うと
すぐに気絶しました。
ラティルは
気絶したトゥーリを見ると
ザイシンに
治療をするよう指示しました。
トゥーリが、
あれほど固い意志を抱いて
治療を拒否していたのに
勝手に治療してもいいのかと
心配になったザイシンは
大丈夫だろうかと尋ねました。
しかし、ラティルは、
ゲスターの憂鬱そうな表情を
チラッと見て
治療をしろと指示しました。
ロルド宰相は
友達がいないゲスターのために、
幼い頃から、トゥーリを
そばに付けてくれたと
聞いていました。
一緒に育った侍従は格別なものだから
ゲスターのためにも
早くトゥーリを治療した方が
良いと思いました。
ゲスターも
あえて止めなかったので、
ザイシンは、そっと前に出ると
トゥーリを一気に治療しました。
ラティルはため息をつくと
ヘイレンに付いて来るよう
目で合図をしました。
ラティルは廊下に出て
後ろを振り向くと、
ヘイレンだけでなく
タッシールも付いて来ました。
ラティルはタッシールに
口を開くなと、事前に警告しました。
タッシールは格別な話術で
話の流れを、彼の望む通りに
調節することができました。
今、ラティルは
タッシールの言葉に
流されたくありませんでした。
ヘイレンは仏頂面で
「何でも聞いてください 」と
言いました。
トゥーリがあんな風になったことで
彼も、かなりショックを
受けていました。
ラティルは、
なぜ、トゥーリが
あんなことになったのか。
ゲスターが無視されているって
どういうことなのかと尋ねました。
ヘイレンは、
些細なことを巡って
トゥーリと自分が喧嘩した。
自尊心の対決のようになってしまい
二人とも譲ることなく、
互いの主人を侮辱する言葉を
口にしていたところ、
殴り合いになってしまったと、
最大限客観的に告白しました。
ラティルはため息をつくと、
ヘイレンは人間の体ではないので
トゥーリがどんなに強くても
武器を持たずに殴り合いをすれば
ヘイレンより弱いと言いました。
ヘイレンは、
まだ慣れていないので、
普段は、それを念頭に置いて
行動しているけれど、
怒った状況では思い浮かばなかったと
言い訳をし、目を伏せました。
彼とトゥーリの間で交わされた
険悪な言葉は、
果てしなくひどくなりました。
ヘイレンは、
ゲスターの性格が、ハーレム内で
ギルゴールと順位を争うほど
酷いということを
トゥーリが知らないことに
さらに腹を立てました。
二人は、ほぼ同時に、互いに、
力いっぱい相手を殴りました。
問題は、皇帝の言葉のように
ヘイレンは吸血鬼で
トゥーリは違うという点でした。
トゥーリが拳で殴った
ヘイレンの頬は、
しばらく赤くなっただけで
跡もありませんでしたが、
トゥーリは肋骨が折れて
お腹と臓器に深刻な傷を負いました。
ヘイレンが謝ると、ラティルは
彼を宮殿の外に出せという言葉が
唐突に上がって来たので、
半分、目を閉じました。
この問題を、
どうやって解決するのがいいだろうか。
二人とも戦ったので、
どちらか一方を
処罰するわけにはいかない。
しかし、二人とも処罰するには
片方の被害だけが大き過ぎました。
ヘイレンは
自分が望んで吸血鬼に
なったわけではない。
でも、このまま見過ごしたら、
ゲスターが、すごく残念がると思う。
それにヘイレンは、吸血鬼になってから
何ヶ月も経っている。
トゥーリを思いっきり殴ったのは
やはりヘイレンの不注意のせいだと
ラティルが考えていると、
タッシールが目の前に
顔を突きつけて
自分の口元を叩きました。
ラティルは「何?」と渋々尋ねると
彼は、再び唇を叩きました。
言ってもいいのかと
聞いているようでした。
ラティルは、
言ってもいいよと答えました。
彼女はタッシールが
ヘイレンの味方になるようなことを
言うと思いました。
しかし、タッシールは
ラティルを抱きしめて
自分の胸にもたせかけました。
ラティルは、タッシールが
ヘイレンを罰するなと言いたくて
わざとこうしているのかと
思いました。
ラティルは怒っていましたが、
タッシールを払い退けることなく
何をしているのかと尋ねました。
タッシールは、
皇帝が驚いているようだ。
皇帝が落ち込んでいると、
自分も気分がよくないと
言いました。
ラティルは、
今、気分が良ければ
もっと変だと反論すると、
タッシールは、
気分がいい人もいるのではないかと
言い返しました。
タッシールは
骨のあることを言いましたが、
ラティルは知らんぷりしました。
仲良くしてくれとまでは
言わないけれど、
この中で血は見たくない。
ヘイレンは、皇帝が遠回しに
自分を非難していると思うと
力が抜けて、床を見ました。
◇呪文◇
人々が皆去り、時間が経ち
夕方になりました。
ゲスターは
カーテンをすべて閉めましたが
部屋の灯りをつけませんでした。
彼はベッドのそばに椅子を置き
眠っているトゥーリの顔を
見下ろしました。
ザイシンの治療のおかげで
トゥーリは、もう具合が悪そうに
見えませんでしたが、
血をたくさん流したせいで、
まだ顔が青ざめていました。
ゲスターは、
しばらくトゥーリを見下ろしてから
彼の手を持ち上げて
手の甲を短刀で引きました。
彼はトゥーリの手から出る血を
自分の手に付け、今の世の中の誰にも
聞き取れない言葉を呟きました。
◇手が痛い!◇
タッシールのそばで
仕事を分類していたヘイレンは
我慢ができなくなって、
このことで皇帝は、若頭のことを
とても怒っただろうかと
尋ねました。
このことは、できるだけ
気にしないようにしていましたが
どうしても、
それができませんでした。
ヘイレンは、
皇帝が自分を見ていた目は
とても冷たかったと
不機嫌そうな声で呟きました。
彼の記憶の中で、皇帝の視線は
ますます厳しくなっていました。
タッシールは、
皇帝には、衝動的な点が
あることはあるけれど、
衝動的にヘイレンを
罰するつもりだったら、
もう、とっくに
そうしているはずだと言いました。
しかし、ヘイレンは
皇帝の表情が本当に怖かったと
言いました。
タッシールは、
ハーレムの中で起こることに関して、
皇帝は比較的寛大だと言って
ヘイレンの肩を叩きました。
そして、
もう、このことは考えないで、
楽しく働こう。
そして、これからは、
誰の侍従とも、そんな風に戦うな。
元々、ヘイレンは
そういう人ではないかと助言すると
ヘイレンは、
ゲスターの侍従は本当に耐え難い。
自分の主人の性質も知らずに
あらゆる悪口を浴びせかけると
不平を言いながらも、
タッシールの助言に従い、
このことについては、
これ以上、考えないことにしました。
皇帝が、あの場で
受け流したということは、
このことで、処罰するつもりは
ないという意味でした。
たとえ処罰をしても
耐えられる程度だと思いました。
ところが、その瞬間、 ヘイレンは
ペンを落として悲鳴を上げました。
タッシールはペンを拾いながら
ヘイレンを見ました。
彼は「手が痛い」と言って
右手の手首を左手で握りしめ、
うめき声を上げていました。
彼の額には
冷や汗が流れていました。
タッシールは
ヘイレンの名を叫びながら
自分を見てと言いましたが、
ヘイレンの苦痛が
どれほど深刻だったのか、
彼は、タッシールの声さえ
聞くことができませんでした。
タッシールは
ヘイレンが痛みを訴えている手を
調べましたが、彼の手は
傷一つありませんでした。
タッシールはヘイレンに
どのような痛みなのかと
尋ねましたが、ヘイレンは、
分からない。 とても痛いと
答えるだけでした。
タッシールは、
片手でコートを引っ張りながら
外に走り出ると、すぐに
カルレインを訪ねました。
ザイシンの神聖さは
ヘイレンには毒だったので、
助けを求めることが
できませんでした。
◇許しを請え◇
なぜ自分が
皇配候補になれなかったのかと
考えていたカルレインは、
血と酒を半々の割合で混ぜて
飲もうとしていましたが、
デーモンが影のように現れて
タッシールが来たことを伝えました。
カルレインは窓を開けて
血を外に捨てました。
すぐに扉が開き、
タッシールが入って来ました。
カルレインは時計を見ました。
タッシールが訪れる時間では
ありませんでした。
カルレインは、
どうしたのかと無愛想に尋ねました。
タッシールが
皇配候補に指名されたことは
彼にとっても、
それほど嬉しい知らせでは
ありませんでした。
それでも、カルレインが
不快な感情を表に出さないのは、
あの姿も見たくない男たちを
タッシールが、ずっと我慢して
忍耐してくれたおかげで、
彼の愛する人が、辛い運命から
脱することができたからでした。
タッシールは、
いつものようにグズグズせずに、
ヘイレンがおかしい。
助けが必要だと訴えました。
カルレインは
タッシールの住居に付いて行きました。
部屋に入ると、ヘイレンは
手を握ったまま
床を転がっていました。
カルレインは
片手でヘイレンを抱き上げながら
どうしたのかと
タッシールに尋ねました。
彼は、
分からない。仕事中に
急にあのようになった。
見た目は何ともないのに
しきりに手を痛がっていると
答えました。
カルレインは、ヘイレンの手を
ひったくるように掴んで
調べました。
吸血鬼の目から見ても、
ヘイレンの手は問題ありませんでした。
カルレインは首を横に振り、
ヘイレンの手を離すと、
こういうことについては
ゲスターを訪ねた方がいいだろうと
言いました。
ゲスターが
助けてくれるだろうか?
タッシールは本当に困って
嘆きました。
しかし、ヘイレンは
裂けるような悲鳴を上げていました。
ヘイレンを運ぶと、
ハーレムの人々を皆、
起こしてしまいそうなので、
カルレインは
自分がゲスターを連れて来ると言って
彼を訪ねました。
まもなくゲスターが現れました。
彼は、床を転げ回るヘイレンを見て
片手で口を覆って笑い声を上げ、
とても具合が悪そうだと言いました。
タッシールは何かを感じて
ゲスターを見ました。
彼はヘイレンが握りしめている右手に
トゥーリの血が付いていることを
思い出しました。
ゲスターがこんなことをするのは
一度や二度でもないので、
カルレインは、
変なことを感じることもなく
治すことができるかと尋ねました。
ゲスターは、
治せるけれど、治す理由がないと
答えると、顎を上げて
微笑みを浮かべました。
そして、自分は
タッシールが嫌いなのに、
なぜ治さなければならないのか。
タッシールが、むやみに自分を
からかったせいで、
自分は皇帝から嫌われたのにと
非難しました。
ゲスターが、こじづけているのは
分かっていましたが、
タッシールは自責しました。
恋に落ちていなかったら、
彼は金色の目の男の正体を
知りながらも、
口に気をつけていたと思いました。
カルレインは
ゲスターの肩を軽く叩いて、
それでもやってみてと頼みました。
ゲスターは、
それはカルレインの
言うことではないと返事をすると
彼は口の端を上げて、
床を指差しながら、
タッシールに許しを請えと
命令しました。
そして、許しを請いながら、
皇配が選ばれるまで、
ラトラシルのそばを離れていると
誓えば、治してやると言いました。
トゥーリは子供の頃から
ゲスターを守れと
徹底的にロルド宰相に
仕込まれてきたと思うので
大人になった今でも、
ゲスターを守るためには
命を張る覚悟なのだと思います。
仮にゲスターが
トゥーリの前でボロを出したとしても
彼にとってゲスターは
いつまでも弱い坊ちゃんのままだと
思います。
ヘイレンは、
トゥーリがゲスターの本性を
知らないことを
腹立たしく思っているけれど、
ゲスターを守ることに
人生を懸けているトゥーリは
ずっとゲスターの正体を
知らないままでいるのが
幸せだと思います。
カルレインが
皇配候補になれなかったのは
皇帝がいない時に
皇帝の業務を代行できるという
アピールが
足りなかったのかもしれません。
先皇后がいれば
後押ししてもらえたのに・・・
ラティルのことを考えて
嫌いな相手にも
親切にしてあげるカルレインは
優しさでは、
タッシールやラナムンに
引けを取らないのに残念です。
ヘイレンの手に
トゥーリの血が付いているって
まさか、ヘイレンは
トゥーリを殴った後に、
手を洗っていなかったのでしょうか・・
ここのところ、
ゲスターの悪辣なシーンが続いて
気分が悪いので、
そろそろスカッとした展開を
望みます。