876話 ラティルの袖をまくり上げたラナムンの表情が固まりました。
◇メラディムの話◇
どうしたの?
と尋ねたラティルは、
自分の腕を見下ろすと
びっくりして悲鳴を上げました。
見るからに恐ろしいほど、
腕の肉がえぐれていました。
ああ、私の腕を見て!
ラナムンはハンカチを取り出して
ラティルの傷口を覆いました。
最初、彼女は痛いと
大騒ぎしましたが、
ラナムンの表情が
あまりにも深刻になると、
彼が心配し過ぎるのではないかと思い
唇をギュッと閉じて
何の声も出しませんでした。
そして、ラナムンが袖を下ろすと、
ラティルはハンカチで縛られた腕を
あちこち動きかしながら
自分の傷は早く治るから
大丈夫だと言って笑いました。
しかし、ラナムンの固い表情は
和らぎませんでした。
ラティルは、
ラナムンも、どこか具合が悪いのかと
尋ねました。
ラナムンは、
自分が付いて来るべきではなかったと
答えました。
ラティルは、
ラナムンがいなければ、
誰がハンカチで縛ってくれるのかと
尋ねました。
ラナムンは、
自分が来なければ、
ゲスターが皇帝の手を握り、
何かあった時に、
すぐに皇帝を連れて行ったはずだと
答えました。
しかし、ラティルは、
そんなことはない。
自分たち3人とも、
村でそんなことが起きるとは
思っていなかったので、
ゲスターと2人で来ても
同じだったと言い返しました。
ラナムンは、
自分は元気なのに、ラティルの腕が
岩でえぐれたのを見て
苦しんでいるようでした。
ラティルは、そのラナムンの姿に
むしろ当惑し、
反対側の腕を振り回しましたが、
反射的に涙が出て来て
その腕を下ろしました。
片方だけ怪我をしたわけではなく
全身を岩にぶつけたような
痛みがありました。
最初は強い痛みを感じ、
その後、しばらく感じなかった痛みが
急に列をなして
押し寄せて来ていました。
ああ、私の腕が、私の足が!
ラティルが泣きながら動き回ると、
ラナムンは、体を屈めて背中を突き出し
私がおぶってあげます。
と言いました。
ラティルは、
おんぶされる気力もなかったので
手を空中に伸ばしたまま
じっとしていました。
ラティルが
おんぶされないでいるので、
ラナムンは後ろを振り向くと、
彼の瞳が揺れました。
変な洞窟に到着しても元気だった
彼の顔に、初めて見る恐怖が
浮び上がりました。
陛下。大丈夫ですか?
ラナムンは立ち上がると、
もう一度、ラティルに尋ねました。
彼女は「大丈夫だ」と
言いたかったけれど、
手足にひどい痛みがありました。
それでも、自分だから
これくらいで済んでいるけれど
対抗者とはいえ、
人間の体を持つラナムンなら、
もっと深刻だっただろうと
思いました。
悩んでいたラナムンは、
ラティルを前に抱き上げました。
そちらの方が少しマシなので、
ラティルは、
両手を躊躇しながら下ろし、
彼に額をもたせかけました。
出口なのか入り口なのか
分からない場所が
4カ所見えるとラナムンは囁きました。
ラティルは、
痛みで気がつかなかったけれど
出られそうな所があるようでした。
ラナムンは、
どちらへ行こうかと尋ねました。
ラティルは、
生まれつき運のある
ラナムンが決めるようにと答えると
彼は、東の方向に決めて
歩き始めました。
ラティルは少し首を傾げて、
進んでいく方向を見ました。
天井に、光る糸のようなものが
数百本、刺さっていて、
幸い前を見るのに、
問題がありませんでした。
実際、このような状況でなければ、
かなり美しく見える光景でした。
ラティルは、
ラナムンの肩に寄りかかったまま
輝く糸のようなものを見上げながら
ゲスターは
どこへ行ったのだろうかと尋ねました。
彼がいなくなる前、
何かを感じたかのように、
ビクッとした姿が思い浮かびました。
ラナムンは、
地面の下を通り過ぎていた
あの奇妙な気配を
追いかけたのではないかと答えました。
ラティルは、
そうかもしれない。
あの変な気配が地面を消す原因だと
思ったのではないかと答えました。
ラナムンは、
そうすれば、その気配から離れている
自分たちの方には
別に問題はないだろうと
自然に信じるように
なったのではないかと言いました。
ラティルは、
その変な気配を感じさせる敵が1人いて
何の気配も感じさせずに、
地面を消す敵がもう1人
いるのだろうかと言うと、
ラナムンは、突然足を止めて、
何かを思い出すかのように
額にしわを寄せました。
ラティルは、腕の痛みが
先程より少し和らいだので、
痛みの少ない方の腕を上げて
彼のしわの寄った額を撫でながら
どうしたのか。
ラナムンも、どこか痛いのかと
尋ねました。
ラナムンは、以前メラディムが
何か話していたことがあると
答えました。
メラディムと聞いてラティルは驚き、
ここは、人魚が住んでいるような
場所なのかと尋ねました。
ラナムンは、それを否定し
狐の穴のような能力を使う
怪物がいると言っていたと答えました。
驚いたラティルは、
本当なのかと聞き返すと、
ラナムンは、
正確には、その怪物の能力を
ゲスターが黒魔術で、
より安全で有用に具現化したと
話していたと答えました。
アウエル・キクレン?
あの男が黒魔術の創始者だと
聞いたけれど、
そういうことなんだ。
ラナムンの話を聞いたラティルは
改めて驚き、感嘆しました。
黒魔術の創始者と聞いた時、
「すごい」というよりも、
そのような者が、
なぜ、ゲスターの体の中に
一緒にいるのかと思いましたが、
その質問をしても、彼は、
答えを、ぼかすのではないかと
思いました。
ラティルは、
怪物の弱点など他の情報はないのかと
尋ねました。
ラナムンは、
聞いた。
もっと安全で有用に変えたということは
その能力には
弱点があるということだから。
けれども、それが思い浮かばないと
答えると、ラナムンはもどかしそうに
しかめっ面をしました。
自分は黙ってるので、
考えてみてと言うと、ラティルは
ラナムンの邪魔にならないように
手で口を塞ぎました。
ラナムンはその姿を見ると心が乱れて、
記憶がさらに乱れてしまいました。
しかし、皇帝が
自分を信じて頼っているので、
どうしても記憶を
取り戻さなければなりませんでした。
ラナムンは、メラディムが
何か熱心に騒ぎ立てていた時、
もう少し、きちんと
話を聞くことができなかった
自分を責めました。
あの時、一体何をしていたせいで
その重要な話を聞かなかったのか。
プレラが離乳食を
どんどん吐き出していたので
ラナムンはプレラに食べるよう
言い聞かせていました。
それも、彼にとって重要なことでした。
ラナムンはため息をつき、
記憶を蘇らせようとしました。
◇騙されたゲスター◇
確かに、こちらへ来たのに。
その時、 ゲスターは
自分が感じた怪物の気配を追って
移動していましたが、
突然、すべての気配が消えると
首を傾げました。
あんなにはっきりとした気配が
こんなに簡単に消えるのだろうか。
まともに自分の気配を
隠すこともできなかったのに・・・
と考えていたゲスターは
まさか!
と叫んで目を見開きました。
そして、彼は、少し前に
自分がいた村に狐の穴を通って
戻りました。
しかし、
ラトラシルとラナムンがいた所には
誰もおらず、村人数人が集まって
ざわめているだけでした。
急に現れた!
あの人も怪物か!
村人の何人かがゲスターを見て
驚いて叫びました。
ゲスターは「あの人も」という部分を
聞き逃しませんでした。
彼は叫んだ人の胸ぐらをつかみ
一つ聞きたいことがあると
笑いながら尋ねました。
ゲスターが優しい話し方をすると
捕まえられた人は「放せ」と叫んで
荒々しく体を揺らし、
ゲスターを拳で殴りましたが、
その瞬間、捕まえられた人は
自分の手に、
もっと大きな痛みを感じて
涙を流しました。
再びゲスターは笑いながら
1つ聞きたいことがあると
言いました。
その人は、「はい、どうぞ」と
返事をすると、ゲスターは、
ここに怪物が現れたのかと尋ねました。
その人は、
急に地面に大きな穴が開き、
その上で抱き合っていた男女が
消えたと答えました。
ゲスターは、
投げ捨てるように、その人を放すと
歯軋りしました。
頭の痛くなる推測が当たりました。
あの「はっきりした気配」は
自分を2人から遠ざけるための
罠でした。
「困ったな」と呟いたゲスターは
ヒソヒソ話す人たちを無視して
まっすぐメラディムの湖へ入りました。
びっくりした!
ゲスターが目の前に現れると、
メラディムは驚き過ぎて
卵を落としてしまいました。
卵がプカプカ浮き上がると
ティトゥは素早く卵を拾って
他の所へ行ってしまいました。
何だ!
メラディムは
自分が卵を逃したことに腹を立て
ゲスターを怒鳴りましたが、
彼は言い返す代わりに、
トンネルモンスターが
皇帝を飲み込んだと話しました。
メラディムは、
その怪物が犯人だったのか。
しかし、その怪物が通る所は
跡が残るのではないか。
それにゲスターと一緒に行ったのに、
どうやってロードだけ
飲み込んだのかと尋ねました。
ゲスターは、
長く生きているうちに
怪物も賢くなったようで、
怪物自身の気配を、
他の場所へ送る方法を
会得したようだと答えると、
心の中で悪口を吐きました。
怪物は自分の気配を
他の場所に送っただけではなく、
その気配を非常に速いスピードで
送りました。
考えながら追いかけると
逃してしまうので、本能的に
むやみに追いかけなければならない
そんなスピードでした。
ゲスターは、
それに騙されたのでした。
当時は事情を説明する暇も
ありませんでした。
ついに、その怪物が、君に一発、
まともに食らわせたのかと
メラディムは、
ゲラゲラ笑いましたが、
横で他の人魚が顔色を窺っていると
あっという間に、顔を顰めました。
笑うことではなかったからでした。
メラディムは、
ゲスターもトンネルの中に
入れないのに、
どうするつもりなのかと尋ねました。
ゲスターは唇を噛みました。
トンネルモンスターが作った
領域に入るためには、
その怪物と相克的な力が必要でした。
メラディムは、
だからといって
大神官も行かせられない。
彼は神聖力は強いけれど、
土を掘り起こす才能はない。
ただ地面に閉じ込められる人を
1人増やすだけ。
聖騎士たちも同様に送れない。
どうしたらいいのかと
呟きながら舌打ちすると
だから自分を訪ねて来たのか。
人魚たちは、壁や地面を通して
ある程度、意思疎通ができるからと
聞くと、ゲスターは、それを肯定し
助けてくれるのかと尋ねました。
メラディムは、
今回のロードとは、かなり仲がいいので
もちろん、助ける。
しかし、困ったことだ。
場所が分かっても、土を掘り起こすのに
かなり時間がかかるかもしれないけれど
大丈夫なのかと尋ねました。
その時、卵を持って
どこかに行っていたティトゥが、
好奇心を抑えきれずに戻って来ると、
前に支配者様は、ラナムンという人間に
その怪物の弱点を教えてやったので
トンネルの中から脱出するのに
時間は長くかからないはず。
うまく出てくるのではないかと
話に割り込みました。
メラディムは、
そうだったっけ?
と尋ねると、ティトゥは
全部話してやったと答えました。
メラディムは明るく笑いながら
ゲスターの肩を叩くと、
そうか、それなら
勝手に出てくるだろう。
と言うと、心から安堵したように
踊り出しました。
ゲスターは説得するのを止め、
メラディムとティトゥの髪をつかんで
湖から出ました。
私の尾ひれに土が付く!
メラディムは、尾ひれで
土の上に立つと、
ゲスターに悪口を浴びせ、
すぐに、尾ひれを人の足に変えました。
ティトゥも、文句を言いながら
人の足に変えると、ゲスターは、
再び彼らの髪の毛を握って
執務室に移動しました。
執務室の中にいた秘書と侍従たちは、
ゲスターが人魚2人を連れて
突然現れると、びっくりして、
あちこちで腰を抜かしました。
ちょっと、席を。
とゲスターが指示すると、
タッシールとヘイレンを除く皆が
勝手に席を外してくれました。
最初タッシールは
目を丸くしていましたが、
ゲスターの表情を見ると、目を細め、
やはり、事が拗れているようだ。
そうでなくても、誰かが頭を働かせて、
自分たちをバラバラにしていることを
話そうと思ったと言いました。
しかし、ゲスターは、
急いでいるので、
説明する時間も、話を聞く時間もない。
ラトラシルが、
どこだか分からない土の中にいる。
彼女が持っているのは
シャベルとラナムンだけだと
話しました。
しかし、ゲスターの言葉は
メラディムのように
説明を聞き終えていない者たちには
理解しにくいものでした。
ヘイレンは、
もう少し、きちんと話せと
言おうとしましたが、
タッシールが、口を手で塞ぐと
渋々、口をつぐみました。
本当に急を要するなら、
言い争っている時間も
なさそうだったからでした。
彼は頭の中で
ゲスターの言葉を整理しながら
何が必要かと尋ねました。
その瞬間、ゲスターの口の中で
ガチャガチャと
石が砕ける音が聞こえました。
メラディムが目を丸くするほど
大きな音でした。
ゲスターは、古代語で
短く悪口を吐きました。
彼は、これを本当に、
本当に言いたくなかったけれど、
自分の穴から、
タッシールを連れ出した
白魔術師のイタチ野郎は
どこにいるのかと尋ねました。
もはや人の目を全く気にせず
狐の穴を使って、
神出鬼没に現れるゲスター。
狐の穴の原形が
危険なものだと分かっているので
ラティルのことが心配で心配で
たまらないのだと思います。
そして、ラティルのために
白魔術師に助けを求めることにした
ゲスター。
ラティルが本当に危ないと思った時は
ゲスターも理性を失い、
どんなに嫌なことでもやれる人なのだと
思いました。
ところで、以前から、
白魔術師が戻って来ないことを
タッシールが心配したシーンが
ありましたが、
無事に戻って来ていたのですね。
ラナムンがプレラの世話をするために
メラディムの話を
聞き逃してしまっても、
ラティルは責めないと思います。