Image may be NSFW.
Clik here to view.
51話 エルナはビョルンに教えて欲しいと頼みました。
ビョルンは、思わず
笑い交じりのため息を漏らしました。
まるで預けておいたものを
取りに来たかのように
厚かましく振舞う瞬間にも、
エルナの頬は赤く上気していました。
頬を撫でるビョルンの指先に
無意識に力が入りました。
彼は、
まさか、本気なのかと尋ねました。
一瞬、躊躇ったものの、
エルナは「そうです」と
すぐに毅然とした態度で
返事をしました。
「本気でお願いしている」と
再び哀願する態度は
追い詰められているようにさえ
見えました。
じっと妻を見ていたビョルンは
空笑いしました。
この女性が、でたらめを
言っているのではないことと、
今、何を言っているのか
全く分かっていないということを
ビョルンは十分、分かりました。
教育といっても、
古臭い冊子を広げて
曖昧な話をする程度だったはず。
その程度で
気が滅入って逃げ出したくせに
あなたが教えてくださいだなんて。
無知から来る妻の挑発は、
可愛いけれど、
憎たらしいと思いました。
彼の名前を呼ぶ声は
細かく震えていました。
ビョルンが
タイを少し緩めている間に
フィツ夫人がやって来ました。
彼女の声を聞くと、エルナの目は
狩人に追われて来た可憐な獲物のように
揺れ始めました。
ビョルンが入室を許可する否や
普段より厳しい顔をした
フィツ夫人が入って来ました。
彼女はエルナを発見すると、
やはり、ここにいたのですねと
言いました。
フィツ夫人は、
問題を起こして隠れていた小さな王子を
捜し出した瞬間のような
顔をしていました。
ビョルンは笑いを堪えながら
もう一口水を飲みました。
フィツ夫人は、
こうしていてはいけない。
早く元の場所に戻ろうと戒めましたが
エルナは泣きそうな目で、
ビョルンをチラチラ見ました。
空のグラスをいじっていた
ビョルンは、
このままにしておいてと
衝動的な決断を下しました。
フィツ夫人は、
当惑した様子で彼を見ましたが
ビョルンは、
妃がこんなに苦しんでいるので
仕方がないと、彼の耳にも
かなり馬鹿みたいに聞こえましたが
決定を翻しませんでした。
信じられないといった様子で
彼の顔色を窺っていたエルナは、
ようやく安堵した顔で微笑みました。
自分の下で、
怖がって泣いてばかりいた
女性が見せる無限の信頼に、
ビョルンは、さらに当惑しました。
お客様には、
何日か休暇を過ごしに来たと思って
予定通り滞在するように伝えてと
ビョルンが告げると
フィツ夫人は、この状況に少なからず
腹を立てているようでしたが
うまく感情を抑えました。
フィツ夫人は、
このような形で終わらせるのは
ペッグ夫人に対して失礼だ。
大公妃が直接了解を得て、きちんと
締めくくらなければならないと
言いました。
ビョルンは、
もちろんそうだと快諾して
エルナを見ました。
それくらいは、
いくらでもできるというように
大きく頷いたエルナは、
慌てて立ち上がり、
フィツ夫人のそばに近づきました。
ビョルンは、
遠路はるばる来てくれたお客さんと
夕食を共にすることを、
ペッグ夫人に伝えて欲しいと
提案することで、
自分の気まぐれを収拾しました。
その程度で
十分な謝罪だと思ったのか、
フィツ夫人の目が一段と和らぎました。
挨拶をした彼女は、
厄介な大公妃を率いて
書斎を離れました。
そっと頭を下げたエルナは、
声を出さずに口の形だけで
ビョルンにお礼を言いました。
目の前の苦境から脱したことに
満足したあまり、
予定されている試練を
すっかり忘れてしまったかのように
恥ずかしそうに笑う顔が
晴れやかでした。
二人の足音が遠ざかると、
ビョルンは呆れて
笑ってしまいました。
純真で、みだりがわしい女だなんて。
熱い氷と暗い太陽のように
矛盾しているかもしれないけれど、
彼の妻は確かにそうでした。
やはり、鹿は危険だ。
思わず、策略に陥ってしまった
自分への自嘲が、
空笑いの中に混ざりました。
油断をして
虚を突かれたような気分でした。
この鹿もあの鹿も、種類は違っても
とても危険であることは、
言うまでもない。
ビョルンは、
軽いため息で雑念を消すと
葉巻を手にしました。
どうせ、
船に閉じ込められている間は
退屈だろうから、
自分の足で近づいて
皿の上に座った子鹿を楽しむのも
悪くはないはずでした。
色々と面倒でイライラするけれど
美味しい淑女でした。
ビョルンは葉巻を吸いながら
書類を手に取りました。
ため息と失笑は途絶え、
静まり返った書斎の中に、
紙をめくる音が響き始めました。
Image may be NSFW.
Clik here to view.
グレディスは、やせ細った手で
アルバムを開きました。
何気なく数ページをめくると、
レチェンの王太子妃になった
19歳の春に写した写真が現れました。
両国の全土に撒かれた
あの結婚写真でした。
レチェンとラルスの
名誉と誇りそのものだった新郎と新婦。
その栄光は、恥辱になって久しいけれど
写真の中の彼らの微笑は
依然として煌びやかに
輝いて見えました。
この人を
愛さずにはいられなかった。
時間が経てば経つほど、
グレディスは、あの頃の自分が
理解できませんでした。
いくら幼い頃の恋に
目が眩んだとしても、
どうして、
あんな愚かなことができたのか。
もちろんジェラルドは
いい人でした。
ジェラルド・オーエンは
ラルスの天才詩人であり、
自分の恋人でカールの父親でした。
グラスをもう一杯空けた
グレディスは、震える手で
アルバムをめくりました。
いつも少年のようだった
美しい男の顔を見ると、
涙がぽろぽろとこぼれました。
その次のページの、
自分にそっくりな
愛らしい赤ちゃんの姿が写った
写真に向き合うと、グレディスは
いつの間にか、号泣していました。
カール・デナイスタ。
ビョルンは、
その子に会ったことはないけれど
少なくとも、
王室の姓は許してくれました。
それが、
レチェンとラルスの間で交わされた
密約の代償であり、
おかげでカールは、
名誉ある短い人生を
送ることができました。
ありがたくて申し訳ない人。
グレディスにとってビョルンは
いつもそのような人でした。
自分を惨めにするために
とんでもない結婚をしてしまった
今も同じでした。
体を支えられないほど
嗚咽していたグレディスは、
夜が更けてから
ようやく泣き止みました。
よろよろと起き上がって窓を開けると
冷たい風が吹いて来ました。
社交会で偶然出会ったジェラルドと
恋に落ちたのは17歳の春。
レチェンとラルスの間で
縁談の話が交わされていた頃でした。
叶わぬ恋だと知って、
より切なくなったのか。
初恋は
手に負えない熱病のようでした。
一時、すべてを捨てて、
二人きりで世界の果てまで
逃げようという甘い夢を
見たりもしましたが、
結局、グレディスは現実の前に跪き
決められた通りに
レチェンの王太子妃になりました。
お腹の中で、
彼の子供が育っているとは
夢にも思っていませんでした。
ビョルンが、
抱いたことのない妻の妊娠の事実を
知った日、
こんなことなら、自分と寝て、
あの子が自分の子供だと
嘘をつけばよかったと、
軽蔑のこもった失笑と共に
彼が吐いた言葉は正しかった。
そうすれば、むしろ皆にとって
良い結末だったかもしれないと
思いました。
しかし、グレディスは、
結婚式を行ったものの、
熱烈な愛の記憶を胸に秘めたまま、
どうしても、
他の男に抱かれることができず
涙だけ流しました。
本当にごめんなさいと
裸になったまま横になって
すすり泣くグレディスを
しばらくじっと見下ろしていた
ビョルンは、
深いため息だけを残して
寝室を離れました。
翌朝、ビョルンは、
目が腫れているグレディスに、
ベッドでイラッとさせない
自信ができたら言うように。
それまでは喜んで待つと、
冷たく、無心に言いました。
そして、恐怖に怯えて
何も答えられずに泣いている
グレディスを目の前にしても
平気で朝食を取りました。
次の日も、その次の日も、
長い新婚旅行が続く間、
そんな日が続きました。
しばらくは、初恋の記憶のせいで
他の男を受け入れることが
できませんでしたが、
ある瞬間からは、自分に対して、
あまりにも無情な夫が恐くて辛くて
どうしても、近づくことが
できなくなってしまいました。
そうして春が去り、
王太子妃の妊娠の知らせが、
全レチェンを騒がせた
残酷な夏がやって来ました。
分別のない愛を恋しがらなければ。
皆を欺くほど賢くなれたなら、
今のように、
皆が不幸になることはなかったのに。
グレディスは、
冷たい秋風に吹かれながら
再び泣き出しました。
どうしても、
誰も欺くことができなかった
自分の率直さが、
胸が張り裂けそうなほど憎くて
耐えられませんでした。
妊娠の事実が明らかになった日、
グレディスは、
絶望の中で真実を告白しました。
淡々と耳を傾けていたビョルンは
今と同じように
静かに過ごすようにしろと、
全く意外な言葉で
グレディスの涙を止めました。
怒気が消えたビョルンの声は
あまりにも低く、むしろ、
さらに大きな恐怖を与えました。
そして、ビョルンは、
妊娠を祝ってもらって喜び、
今までのように
立派な王太子妃として
過ごせという意味だけれど
分かったかと尋ねました。
言葉が出なくて
ブルブル震えるグレディスを
眺めるビョルンは無表情でした。
表面的には完璧な幸せと平穏が続く、
見せかけの偽りの日々が
再び続きました。
もしグレディスが娘を産んでいたら、
ビョルンは永遠に
そのような日々を続けていただろうと
思いました。
しかし、息子が生まれ、
グレディスは、
盛大な結婚式を行ってから
一年も経たないうちに、
表向きには
ビョルン・デナイスタの息子と共に
故国へ帰りました。
もしかしたら、
子供の父親であるジェラルドと
再び幸せに
暮らせるのではないかという希望は
そう長くは続きませんでした。
再会したジェラルドは
以前と少しも変わらず、
相変わらずグレディスを愛し、
カールの良い父親になろうと
努力しました。
グレディスは、
彼が良い人であることを、
よく知っていたし、
彼と一緒にいると、安らかで温かくて
その温もりに、
大きな慰めを受けたりもしました。
しかし、それにもかかわらず、
愛は以前のように
熱烈ではありませんでした。
罪悪感のこもった曖昧な笑みを
浮かべる瞬間が多くなり、
ぼんやりと、
ビョルンのことを考える時間が
長くなりました。
グレディスが、前夫の記憶のせいで
泣くようになってから
おおよそ一つの季節が経った頃
ジェラルドは、拳銃で
自ら命を絶ちました。
そして、しばらくしてカールまで、
熱病でこの世を去りました。
そのすべての不幸が過ぎ去った後、
グレディスは、当然、
自分のものだと思っていた時には
気づかなかった、
ビョルンに対する気持ちが
分かりました。
しかし、もうすべて無意味なこと。
グレディスは、
窓を開けっ放しにしたまま
ベッドに身を投げました。
このまま永遠に目を開けられなくても
構わないと思ったので、冷たい風など
どうでも良いと思いました。
しかし、朝が訪れ、グレディスは
どうしていいか分からない絶望の中で
目を覚ましました。
どうか、止めて欲しい。
本当に命を捨てるつもりなのかと
涙声が聞こえて来ました。
その声がする方へ顔を向けると、
忠実なメイドの顔が見えました。
メイドに助けられながら
体を起こしたグレディスは、
ラルスに戻らなければ。
今週中に出発できるように準備してと
力のない声で呟きました。
待ちに待った言葉に喜んでいた
メイドの顔は、すぐに暗くなりました。
数日後、シュベリン大公夫妻が
ラルス行きの船に乗って
新婚旅行に行くということは、
全レチェンが知っていました。
メイドは、
それでは、大公夫妻と同じ船に・・・
と言いましたが、グレディスは、
その二人の用事と自分に
何の関係があるのかと、
ぼんやりと空を見つめながら
呟きました。
もう全部、無意味になってしまったと
言うと、グレディスは
再びベッドに横になりました。
メイドは最後まで
姫を思いとどまらせることが
できませんでした。
Image may be NSFW.
Clik here to view.
Image may be NSFW.
Clik here to view.
いつも、たくさんのコメントを
ありがとうございます。
すでに、皆様からの
グレディスへの非難が
聞こえて来そうです(笑)
midy様
できるだけネタバレしないように
今まで我慢されて来たのではないかと
思いますが、
ようやく、思う存分、
お話していただけるものと
期待しております。
マンガを読んだだけですと、
なぜ、グレディスの妊娠が発覚するまで
ビョルンが
一度も彼女を抱かなかったのか
謎だったのですが、
「ベッドでイラッとさせない
自信ができたら言うように。
それまでは喜んで待つ」と
ビョルンが言ったことが分かって
腑に落ちました。
もし、ビョルンが
少しでもグレディスのことを
愛していたら、
喜んで待つなんて言わないでしょうし
エルナのように、
お酒を飲ませてでも抱いたはず。
結婚して数カ月間、
グレディスと一緒に寝なくても
大丈夫だったのは、
本当に彼女のことを
何とも思っていなかったのだと
分かりました。
それにしても、グレディスは
ひたすら自分の行動を悔いて、
そうしなければ、
皆、不幸にならなかったと
思い込んでいるけれど、
グレディス以外、不幸になった人なんて
いないのではないかと思います。
強いて言えば、
ビョルンの人間不信感が
強くなったくらいでしょうか。
それと、グレディスは、
ビョルンのことを考える時間が
長くなったとか、
彼への気持ちが分かったとか
言っているけれど、
グレディスが怖がるくらい
ビョルンに冷たくされたのに、
彼のことを好きになるなんて
変だと思います。
グレディスが欲しかったのは
ビョルンではなく、
国民にちやほやされる
王太子妃の座だったのだと思います。
いい加減、ビョルンのことは諦めて、
別の結婚相手を探せばいいのに
エルナとビョルンと同じ船に乗り
エルナに意地悪するなんて、
本当に往生際が悪いと思います。
メロンパン様
花を枯らすのが得意な私ですが、
今の家に引っ越して来た時に植えた
四株の鈴蘭が結構増えて
今でも五月になると普通に咲くので、
鈴蘭が高級という話に驚きました。
今年、咲いた時には、
大切に見守ろうと思います。
Image may be NSFW.
Clik here to view.