52話 エルナとビョルンは新婚旅行に出発します。
新婚旅行に出かける大公夫妻を
見に来た人々が加わったため、
シュベリン港は、
いつもの倍以上の人々で
埋め尽くされました。
前妻の国へ
二度目の新婚旅行に行くという
恥知らずで厚かましい行為にも
驚きでしたが、それに加えて
前妻が同じ船に乗るという
刺激的なニュースに、
ゴシップに、あまり興味がなかった
人々の目も輝きました。
考えれば考えるほど、
あのお姫様は本当にひどいと
リサは他のメイドたちの耳に
入るような大きな声で
無駄口を叩きながら乗船しました。
不満そうに見つめる人が
ほとんどでしたが、
リサは気にしませんでした。
かかって来たければ、
一度、かかって来い。
髪の毛を
一本残らず抜いてやるから。
その闘志を感じたのか、
メイドたちは、
ほとんど陰でひそひそ話すだけで
なかなかリサに
立ち向かいませんでした。
リサの前で、
大公妃とグレディス王女を比較しながら
大公妃を無視して中傷した
メイドの一人が、
かなり酷い目に遭うのを目撃した後は
なおさらそうでした。
いくらなんでも、なぜ、同じ船に
乗らなければならないのか。
ああ、あくどいと、リサは、
グレディス王女を囲んでいる
メイドの横を通り過ぎる時は、
もう少し声を高くすることを
忘れませんでした。
大公邸で半月を過ごしたリサは
多くのレチェン人同様、
シュベリン宮殿の使用人たちも
グレディス王女の味方であることを
知りました。
大公妃のレベルが、
「大陸の花」と称えられた
ラルスの王女から、
あらゆるスキャンダルを巻き起こした
没落貴族の娘に格落ちしたと、
まるで自分の恥のように思う使用人も
少なくありませんでした。
そのクソみたいな口が
エルナを中傷するたびに、
リサは、グレディス王女の悪口を
言うことにしました。
一時、リサも愛して憧れた
お姫様でしたが
もらったものを返すためには
仕方がありませんでした。
エルナの後ろまで付いて来たリサは
このすべての元凶と言える王子を
睨みつけました。
人一倍背が高く、
すらっとしているおかげで、
どこにいても目につくし、
あれだけ美しいので、それこそ、
目を眩ませる毒キノコでした。
それなのに、
妃殿下が彼に惑わされることなく
持ち堪えられただろうか?
リサは突然動揺し、
毒キノコを飲み込んだ女性を見ました。
上品な貴婦人姿の大公妃は、
数歩ごとに一度ずつ、恥ずかしそうに
キラキラした目で、
夫をチラッと見ていました。
表に出さないように
努めているみたいだけれど、
あれは誰が見ても、
初恋を始めた少女の姿でした。
男は顔を食い物にして
生きてはいけないと言っていた
祖母の教えを、
伝えなければならないのだろうか。
リサは、しばらく悩んでみましたが
やめることにしました。
あれなら、顔を食い物にしても
千年万年は生きられそうだし、
祖母も、直接あの王子を見れば
見解を変えたに違いないと思いました。
何よりも、
すでに結婚している夫なので、
顔を食い物にしようが
顔で制圧しようが、
妻が夫を愛しているなら
別にいいのではないかと思いました。
罪のない妃殿下の横を
通り過ぎたリサの視線は、
再び王子に向けられました。
彼は礼儀正しく
妻をエスコートしていました。
一見、完璧な夫でしたが、
その過度な完璧さが
リサの心を乱しました。
他人が見ても、
はっきり分かる妻の気持ちを
彼が分からないはずがないのに、
全く気にせず、
ただ与えられた夫の役割だけに
忠実な態度は、
多分に冷淡なところがありました。
なんというか、王子は
優雅な格式を整えながら
限りなく無情に扱うステッキのように
妻に接していました。
大公妃のライバルが
あのステッキという
つまらない物だなんて。
リサはムッとして、
片手にステッキ、もう片方の手に
妻を抱えている
罪深い王子を見つめました。
その険しい視線を感じたのか、
ファーストクラスの甲板を通っていた
ビョルンが、後ろを振り返りました。
ただの水を見るような
無感情な視線なのに、
リサは胸がドキッとするような気分に
捕らわれました。
ともすれば、
雑誌の写真を切リ抜くメイドたちと、
どうしようもなく夫に溺れてしまった
可憐なエルナを、
深く理解できたような一瞬でした。
幸いにも、忠誠心から生じた理性を
早く取り戻したリサは、
妃殿下をちょっと見てください。
とてもきれいじゃないですか?
これくらいなら、
ちょっと惚れてもいいと
思うのだけれどという、
言葉では伝えられない気持ちを
両目いっぱいに込めて
王子を眺めました。
実際、エルナは、顔だけが食い物の
淑女ではありませんでしたが、
相手が相手であるだけに、
どうしても外的なものが
最も大きな効力を発揮すると
判断しました。
リサは、妃殿下を、この世で
一番きれいな淑女にしてあげると
固く決心し、努力し、
このように立派な成果を上げたことが
とても誇らしいのに、どうして王子は
それを分かってくれないのだろうか。
そんな願いを込めた視線を送るリサを
狂った人を見るようにしていた
ビョルンは、無情に顔を背けると
先を急ぎました。
あの王子は本当にひどい。
屈辱感を覚えたリサは、
歯ぎしりしました。
顔一つで大公妃になったと言われる
美しい淑女を
あんなにきれいに着飾っても
満足できないなんて。
目が頭のてっぺんに
走って行ったのか。
四方八方を見回してみろ。
妃殿下に対抗できる相手は
どこにもいないはず・・・
でなければならないのに、
何てこった。
思わず反対側のデッキを見たリサは
低い声で悪口を吐きました。
しばらく忘れていた敵、
グレディス王女でした。
グレディスと会ったビョルンは
すごいと思いました。
今までレチェンで
頑張っていたのもすごいし、
この船に乗ったのもすごい。
少し、畏敬の念を抱くほどでした。
一時、自分の人生を揺るがした敵が
このように、
すごい人物だという事実は、
曲がりなりにも、慰めを
与えてくれたりもしました。
困った状況の中でも、グレディスは
久しぶりだと、
落ち着いて挨拶をしました。
ビョルンは平然と頷きました。
続けてグレディスは、
大変遅くなったけれど結婚おめでとうと
祝福の言葉を述べました。
やはりすごい。
明らかに傷ついているという顔で
お祝いの言葉を伝えるグレディスに、
ビョルンは再び感嘆しました。
他の女だったら、
使い古した手口を使っていると
嘲笑ったはずでしたが、グレディスは
ただ、真心と自分なりの善意で
相手に一杯食わすという点で
破壊的な威力を持っていました。
再び、悲恋の主人公のように凄然と
しかし身についた礼儀を失わない態度で
挨拶したグレディスは、
自分の一行を率いて
船室に消えて行きました。
凍りついていた人々は、
ようやく安堵のため息をつき、
互いに顔色を窺いました。
ビョルンは、
妻の名前を静かに呼びました。
彼を見るエルナの目は震えていました。
妻が多少落ち着くと、ビョルンは
新婚旅行に出かける
仲の良い大公夫婦の姿を披露すべき
彼らの舞台である甲板の端を
指差しました。
幸い、自分の役割を
忘れていなかったのか、
エルナは、彼に導かれるまま
素直に従いました。
そこで見物人たちに手を振っている間
エルナは、
明るい笑顔を絶やしませんでした。
目のやり場に困った
結婚式の日に比べれば
目に見えて成長した姿でした。
思ったより早く学んだ賢い新婦を
ビョルンは、かなり気に入りました。
グレディスの名前を口にしない
毅然とした態度も。
あのすごいお姫様が
この船に乗るという噂が広まると、
都市中が沸き立ちましが、
エルナは一度も、夫の前で
そのことに言及しませんでした。
この半月の間に、ビョルンは、
彼女が、おとなしくて淑やかで
面倒でない女だと結論を下しました。
たまに
とんでもないところに飛び上がる
ゴムボールのように
振る舞う時があるけれど、
大して気になる面はありませんでした。
静かに。美しく無害に。
完璧に期待通りの女に、
ビョルンは満足していました。
もちろん、
むやみに確信するには
あまりにも短い期間でしたが。
挨拶を終えた彼らは
乗務員に案内されて船室に入りました。
人形のように静かだったエルナは
彼らが泊まる客室のドアが開かれると
動揺し始めました。
エルナは、どうして船に
このようなことができるのかと
目を丸くしました。
広々とした応接室を中心に
二つの寝室と浴室。
そこにヤシの木と草花がいっぱいの
小さなサンルームまで付いていて
一つの邸宅のように
見えるほどでした。
かなりの衝撃を受けたエルナは
暖炉まであると言いましたが、
ビョルンは、
軽く笑ってばかりいました。
そして、メイドが、
お昼はいつ頃に・・・と尋ねると
自分は要らないので、妃の意に従えと
メイドの質問が終わる前に
返事をしました。
エルナは驚いた目で夫を見上げて
食事をしないのかと尋ねました。
ビョルンは頷くと、
エルナを残したまま
自分の部屋に入りました。
荷物を解いて整理するのに忙しい
大公邸の使用人たちの間に
ぽつんと立っていたエルナは、
ビョルンを追いかけました。
コートとジャケットを脱いだ
ビョルンは
ソファーに仰向けになりました。
使用人たちが退いてくれたおかげで
すぐに、二人だけになりました。
エルナは勇気を出して
口を開こうとした瞬間、ビョルンは
少し休む。しばらくは
何もしたくない気分だと先に言い出し
エルナと目が合うと、
疲れの色が漂っている笑みを
浮かべました。
エルナは、少し当惑しましたが
納得しました。
出発前日の夜まで、連日、ビョルンは
フィツ夫人とは比べ物にならないほど
厳しくて頑強な大臣たちを相手に
熱い議論を交わして来たので、
並大抵なことではなかったことは
よく分かっていると
自分に言い聞かせました。
全部分かっていながらも
一緒にやりたいことをせがむのは
あまりにも子供みたいでした。
実は、エルナは、
船にあるレストランが
とても気になっていたので、
ここで一緒にお茶を飲まないかと
誘うことで妥協しました。
しかし、時間を確認したビョルンは
夕食は一緒に食べようと
淡々と答えました。
エルナは時計をチラッと見ると
ちょうど10時を過ぎたところでした。
新婚旅行初日の半分を、
まるまる一人で
過ごさなければならないという意味と
同じでした。
ビョルンは、解いたタイを
テーブルの上に投げながら
何でも好きなことをやって来てと
微笑みながら優しく囁くと
目を閉じました。
すねて膨れた様子のエルナは、
少し気が抜けた足取りで
夫の寝室を離れました。
ドアを閉める前に、
もしかしたらという期待を抱いて
振り返りましたが、
ビョルンは、依然として
ソファーに横になって
目を閉じているだけでした。
近づいて来たリサが
どこから行ってみることにしたのか。
ここのレストランが
とても素敵なようだけれど、
そこでお茶を飲むのはどうかと
期待に満ちた顔で尋ねると、
エルナは、
ぎこちない笑みだけを浮かべました。
村と同じくらい大きいという船の中で
できる多くのことを、
昨夜、リサと議論したことを
思い浮かべると
頬が少し熱くなりました。
エルナは微笑みながら、
その素敵だというレストランで
お茶を飲もうと、リサを誘いました。
リサは、
なぜ、新婚旅行で自分と・・・
と答えながら、
なんてことだ。
元妻と同じ船に乗せ、
元妻の国に連れて行くだけでは足りず
こんな冷遇をするなんてと
心の奥底で悪口を吐きました。
リサは喉元まで上がってきた
険悪な言葉を飲み込みながら
「はい」と返事をし頷きました。
そして、
自分は誰かさんとは違うという
とても口にできない言葉の代わりに
固く拳を握り締めながら、
言ってください。
自分は何でもすると言いました。
リサを見ていたエルナは喜び、
明るい笑みを浮かべました。
ステッキに負けてしまった
大公妃の笑みがとてもきれいで、
リサは、
さらに憂鬱になってしまいました。
いつも、たくさんのコメントを
ありがとうございます。
今回のお話は、リサのトゲトゲが
際立っていたような気がして、
バラの棘の画像をUPしたくなりました。
けれども、
リサがトゲトゲしているのは
無防備なエルナを守って
助けたいからなのですよね。
エルナがハルディ家にやって来て、
リサというメイドに出会えたのは
幸運だったと思います。
「一時、自分の人生を揺るがした敵」
まさに、その通り。
娘狸は頭が悪いので、そんなことにまで
頭が回らないのでしょうけれど
娘狸は、レチェンという大国の
第一王子を王太子の座から
引きずり下ろし、ビョルンの人生と
レオニードの人生を変えた張本人。
それなのに、
いけずうずうしく復縁を求め、
泣き落としで
ビョルンを説得しようとし、
再びビョルンとレオニードの人生まで
変えようとした。
そして、ビョルンが結婚したら、
執念深く新婚旅行にまで付いて来て
エルナに反感を抱いている人たちを
味方にして、
彼女に意地悪をしようとする。
こんなことをしたって、ビョルンを
取り戻せるわけがないのに・・・
ビョルンが感心するほどの
娘狸のすごさ。
けれども、この彼女の行動のせいで
ビョルンの娘狸への嫌悪感が
さらにUPしたのは
間違いないと思います。