19話 クロディーヌはレイラのネックレスのことを疑っていますが・・・
カイルはバラの庭に面したテラスに
レイラを案内しました。
彼女は、ようやく安堵のため息をつき
カイルにお礼を言いました。
当然、笑ってくれると思っていた
カイルが、
なぜか固い表情をしているので
レイラは不思議に思っていると
カイルは、
プライドの高いレイラが、
見せ物扱いされて
あちこち連れ回されているのに
どうして、
それを我慢しているのかと
怒りました。
レイラは
爽やかな笑みを浮かべながら
まあいいではないか。
自分は孤児で、
ビルおじさんの世話になっていて、
先生になるのだから
間違ったことは一つもないと
答えました。
カイルは、
レイラのことを知っていても
分からないと言い返しましたが
レイラは、本来、人間とは
多面的なものだからと言いました。
カイルは、
余計なことを言うだけだと
返事をしましたが、
結局、プッと笑ってしまいました。
レイラは、
自分は本当に大丈夫なので、
もう行ってと言いました。
カイルは、
どこへ行くのかと尋ねると、
カイルは、
ここで会う人や友達が多いからと
答えました。
カイルは「いい」と言って
面倒くさそうに手を振りながら、
レイラと並んで
手すりにもたれかかりました。
レイラは、
そんなことをしないでと
頼みましたが、カイルは、
今日は、
レイラのパートナーとして
ここに来たので、
レイラのそばにいる。
そうしたいと返事をしました。
カイルの唇と目に
ゆっくりと笑みが広がりました。
何を言っているのかと
言おうとした唇を
固く閉じたレイラは、
訳もなく手すりに触れました。
カイルは、
なぜ、返事がないのかと聞きました。
つま先を見下ろしていたレイラは
少しぎこちなさそうに目を上げると
よく分からないと答えました。
カイルは、自分の前で、
今更、恥ずかしくなったのかと
尋ねると、レイラは、
そんなことないと答えました。
カイルは、
レイラの顔が赤いようだと指摘すると、
彼女は「違う!」と返事をし、
慌てて両手を上げて頬を触りました。
「騙された」と言って、
いたずらっぽくクスクス笑う
カイルを見たレイラは
思わず気が緩んで
笑ってしまいました。
その時、息子を探していた
エトマン夫人が
テラスにいる2人を発見しました。
彼女はため息をついて
近づいて来ると、
一体、ここで何をしているのかと
尋ねました。
レイラは急いで姿勢を正し、
頭を下げました。
目で簡潔に挨拶を受けた
エトマン夫人は、
カイルに会うため、
待っている人が多いと言いました。
カイルはニッコリ笑って、
自分ではなく父親ではないかと
反論すると、エトマン夫人の目は
さらに厳しくなりました。
彼女は、
自分の言っていることが
おかしいのかと尋ねました。
カイルは、
そういう意味ではないと
分かっているではないかと
答えました。
エトマン夫人は、
老婦人がカイルを探している。
まさか彼女を
待たせるつもりはないよねと
尋ねました。
エトマン夫人の態度は、
これ以上の反論は
許さないというように頑強でした。
息を殺していたレイラは
カイルに「行ってきて」と
慎重に言いました。
公爵家の老婦人は
主治医の一人息子を可愛がっていて
エトマン夫人が、それを、
どれほど誇らしく思っているか
レイラはよく知っていました。
レイラは、
カイルを安心させるために
ここで待っていると、
明るい笑顔で言いました。
エトマン夫人は、
レイラにお礼を言うと
ようやく微笑みかけました。
カイルにそっくりな
茶色の目だけれど、
レイラを見る彼女の目つきは
いつも、いくらか冷ややかで
レイラはその事実も
よく知っていました。
カイルは渋々、重い足取りで
歩き始めました。
しきりに振り向くカイルに
レイラは小さく手を振りました。
カイルはしかめっ面で、
絶対に待っていてと叫びました。
「うん」と答えたかったけど
レイラにできるのは、ただ笑って、
もっと、力強く
手を振ることだけでした。
カイルとエトマン夫人が去った後、
テラスは再び静かになりました。
レイラは眼鏡を外して来たので
ホールの光が
夢幻的で美しく感じられました。
もう自分の役目は終わったと
安堵したレイラは
無邪気に感嘆しました。
心に余裕ができて初めて
見慣れない自分の姿も
目に入りました。
レイラは背伸びをしたり、
降りたりを繰り返しながら
波打つドレスの裾を眺めました。
金糸で刺繍した白いドレスは美しく
肌に触れる感触が
とても柔らかいので、
最初、しばらくは、
全身がくすぐったいような
気がしました。
それからレイラは、
じっとネックレスを触りながら、
ブラントの令嬢は、
なぜあんなことを
言ったのだろうかと訝しみました。
もしかすると、
洗練された方法で表現した
蔑視と同情かもしれませんでしたが
レイラはどうでも良いと思いました。
誰がなんと言おうと、
ビルおじさんのプレゼントは
眩しいほど美しかったので、
それで十分でした。
レイラが再び微笑みながら
顔を上げると、背の高い男が
テラスに出て来ました。
カイルかと思って
喜んでいたレイラの顔が
一瞬凍りつきました。
ヘルハルト公爵だったからでした。
ブラントの令嬢も一緒でした。
マティアスを連れて来た理由が
本当に夜風のせいであるかのように
クロディーヌは、
夜風が気持ちがいいですよね?
とニコニコしながら尋ねました。
そして、
夏は夜が美しいから好きだ。
ヘルハルト公爵はどうかと尋ねて
明るく笑いましたが、視線は、
ここへ来た本当の目的である
反対側の端に立っている
レイラに向かっていました。
マティアスは、
あまり夏が好きではないと
答えると、クロディーヌのそばで
立ち止まりました。
庭を見ていた視線が、
レイラの顔の上をかすめました。
彼女は、
招かれざる客の登場に非常に当惑し
焦っている様子でした。
クロディーヌは、マティアスが
夏が好きだと思っていたと言うと
レイラに背を向けて立ち、
マティアスを見ました。
そして、
彼が本当に無感覚な人のようだ。
もちろん、
叱責の言葉ではないということを
知っていますよね?と尋ねると
クロディーヌは、
お互いの息遣いが届くほどの距離まで
マティアスに近づきました。
そして、公爵の一喜一憂しない
上品な態度が
本当に貴族的で優雅で好きだと
言いました。
マティアスは
令嬢に気に入ってもらえて
良かったと返事をしました。
彼をじっと見ていたクロディーヌは
大胆にも、
キスして欲しいと要求しました。
マティアスは
彼女を見つめました。
クロディーヌは、
無感覚なヘルハルト公爵が
好きだけれど、
一生、共に生きていくためには
自分たちの間に、最小限の情熱は
必要ではないかと主張しました。
「最小限の情熱」と呟いたマティアスは
しばらく目を細めていましたが
それはもっともだと
返事をしました。
そして、何の躊躇いもなく
クロディーヌの頬に触れました。
彼女は、少し驚いた表情をしましが
すぐに目を閉じました。
マティアスの視線は、
無意識のうちに、
テラスの反対側の端に向かいました。
そわそわしていたレイラも
ちょうど彼を見ました。
マティアスは、
レイラを直視したまま、
クロディーヌの唇の上に
ゆっくりと唇を下ろしました。
クロディーヌが望んだ見物人レイラは
固く凍りついたまま
ぼんやりと彼らを見守ることで
自分の役割を忠実に果たしました。
かなり離れた距離と闇の中でも
彼女の真っ赤な両頬を
隠すことができませんでした。
とても控え目なキスが続く間、
マティアスの視線は
レイラに向けられていました。
麻痺したように途方に暮れて
彼を見る緑色の瞳は、
無垢に見えました。
やがてレイラが視線を避けた頃に
2人の淡泊なキスも終わりました。
ゆっくりと目を開けた
クロディーヌの唇に
妙な笑みが広がる間、
レイラは逃げるように
庭につながった階段を降りました。
マティアスは
行きましょうと言って、
丁重に手を差し出しました。
クロディーヌは
何事もなかったかのように
その手を握りました。
ホールに入るとクロディーヌは
自分たちは、かなりいい夫婦になれると
確信していると
笑いながら言いました。
レイラは階段を駆け下りました。
彼らが、
追いかけて来るはずがないということを
よく知っているのに、
足はどんどん速くなって行きました。
レイラは、
庭の中央にある大きな噴水にたどり着くと
ようやく止まりました。
息を切らしている間に、
逃げるのに気を取られて忘れていた
足の痛みが蘇りました。
靴をそっと脱いでみたレイラは
しかめっ面で嘆きました。
かかとの高い新しい靴のせいで
足のあちこちに傷ができていて、
踵は皮膚が剥がれて
血が流れていました。
このまま小屋まで走りたかったけれど
カイルに待っていると約束したので、
少なくとも先に帰ると、伝えるくらいは
しなければなりませんでした。
しかし、再びあの光り輝く邸宅に、
不思議で不自由な世界に
戻る気にはなれませんでした。
悩んでいたレイラは
足を引きずりながら
つるバラのパーゴラが立っている所へ
行きました。
まずは庭で待って、
カイルが戻って来る頃に
邸宅に行くつもりでした。
そこにあるベンチに座ることを
使用人は許可されていないので
レイラは長い時間、悩みましたが、
今夜はアルビスのお客さんだから
大丈夫ではないかと結論を下すと
ベンチの端に、そっと座りました。
靴を脱ぐまでには、
もう少し大きな勇気と時間が
必要でした。
レイラは、
ベンチの肘掛けに寄りかかり
両腕で膝を抱えました。
ズキズキする
足が冷たい大理石に触れると、
痛みが少し和らぎました。
見栄えの良い靴が
足には、どれだけ有害なのか。
レイラは、どうにも、この靴を
履き直す気になれませんでした。
走らなければ踵を守ることができたと
思いながら、最も痛い傷を
指先でそっと撫でていたレイラは、
婚約者にキスしながら
自分を見つめていた
ヘルハルト公爵のことが
ふと思い浮かんで、身震いし、
眉を顰めました。
明らかに、他の人がいるということを
知りながらも、何気なく
そのキスを受け入れたクロディーヌも
理解できないのは同じでした。
「一体どうして?」と
レイラは独り言を呟きながら
無意識に唇をこすりました。
そして「恥ずかしい」と呟くと
凍りついたまま、
あの男を眺めた瞬間に思い出した、
あの月が明るかった夜の記憶と感覚を
消し去るように、
今度は手の甲で、唇の奥まで
力を入れてこすりました。
レイラは、
マティアスのことが
気にはなっているけれど、
まだ恋愛感情と呼べるものではなく
恐怖心の入り混じった
複雑で妙な感情ではないかと
思います。
確かにマティアスの気持ちは
レイラに傾きつつあり、
クロディーヌも、
何となくそれを感じ取っているので
レイラを警戒し、彼女を
みじめにさせるようなことを
しているのですが、
結果的に、
レイラとマティアスの接点を増やし、
彼の気持ちを
よりレイラに傾けるようなことを
しているように思いました。
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いつもたくさんのコメントを
ありがとうございます。
だんだん、お話が暗くなっていって
気が滅入りそうになりますが
元気が出る音楽を聴きながら
気を取り直しています。
次回は、明日、更新予定です。