21話 ビルおじさんが家を空けることになりました。
レイラを置いていっていいのか
分からないと心配し
ため息をつくビルに、レイラは
このままでは、
本当に列車に乗り遅れてしまうと
優しく叱って促しました。
レイラの毅然とした姿に
ビルは心強さと同時に
寂しい気持ちになりました。
昨日の午後、
ビルの兄が亡くなったという
知らせが届きました。
兄弟といっても、
それほど親しくなく、
長い間、交流もありませんでしたが
この世でたった一人の血縁なので
知らんぷりはできませんでした。
結局、ビルは、数日間休暇を取って
故郷に行くことにしましたが
レイラを一人残して行くのかと思うと
心が鉄の塊のように重くなりました。
ビルは、
きちんと戸締りをし、
暑くても窓をしっかり閉めろ。
猟銃は自分の部屋に掛かっていると
昨夜から
何度も繰り返している言葉を
伝えました。
レイラは、
ドアと窓をしっかり閉めて、
猟銃は自分のベッドの横に置いて寝る。
もし悪い人が現れたら撃つ。
きちんと食事して、よく寝て、
元気に過ごすと、
落ち着いて返事をしました。
長くても、
せいぜい三日程度でしたが、
ビルは、まるで数ヵ月は
離れている人のように
レイラを心配しました。
依然として
安心できない目つきでしたが、
ビルは渋々歩き始めました。
彼を見送るために
付いて行ったレイラに、ビルは
パーティーで何かあったのかと
慎重に尋ねました。
レイラは否定し、
何事もなく面白かったと答えました。
ビルは、
それなら良いけれど、
あのパーティー以来、レイラが
カイルと距離を置いているような
気がすると指摘しました。
レイラは、
とんでもないことだというように
笑いながら、
そんなわけがない。ただ、最近、
お互い忙しかっただけだと
説明しました。
ビルは、
信じてもいいんだよね?
と確認しました。
レイラは「はい」と返事をし、
なぜ、自分がそんな嘘をつくのかと
尋ねました。
ビルは、
確かに、気まずくなる仲にも程があると
答えると、
一人でいるのが怖かったら
カイルを・・・と言いかけましたが
今のは聞かなかったことにしろと言って
真剣な表情で手を振り、
あいつが一番危ないと呟きました。
ビルは、
もし、あいつが遊びに来たら
日が暮れる前に必ず帰せと
念を押しました。
レイラは、
変なことを言うのはやめて、
行ってらっしゃいと言って
優しい手つきで
ビルの背中を撫でました。
彼は何度も後ろを振り向いて
頼み事を繰り返しながら
遠ざかって行きました。
レイラはビルが見えなくなるまで
その場にいて、
彼が振り向く度に笑って
手を大きく振りました。
とても長い三日間になりそうでした。
どうやら、あのパーティーのせいで
レイラが自分を避けていると、
ようやく、カイルは確信しました。
彼はフィービーに、
深刻に意見を求めましたが
窓枠に座って
オーツ麦をつつくフィービーは
聞いたふりもしませんでした。
ハトに戯言を言う自分が滑稽で、
カイルはため息をつきました。
ビルおじさんが、何日か
故郷へ出かけているし、自分は
一日中図書館に行く予定なので
家を留守にしている。
今日もフィービーは、
カイルを失望させる内容の
レイラのメモを持って来ました。
他の友達の家に遊びに行く、
市内で約束があるなど、
もう何日も、
このようなメモが来ました。
最初は、突然訪ねて、
無駄足を踏むことのないよう
自分へ配慮してくれていると
思いましたが、
ここまでくると、間違いなく
自分を避けたいという
言い訳のように思えました。
カイルは、
それも当然だと思い
頭をかきむしって
ため息をつきました。
今日はレイラのパートナーなので
彼女を守ると、
大きな声を張り上げておきながら
レイラを一人にしました。
そして、公爵家の使用人から、
先に帰るというレイラの伝言を聞いて
夢中で飛び出しましたが、
すでにレイラは、
邸宅を離れてしまった後でした。
自分が先に
待っていてと頼んでおきながら
なぜ、もう少し早く
あの場から離れなかったのか
分かりませんでした。
カイルがイライラしながら
窓際をウロウロしている間に
満腹になったフィービーは
帰ってしまいました。
カイルは
衝動的に部屋を出ました。
どうやって自転車に乗り、
ペダルを踏んだのかは
よく覚えていませんでしたが、
レイラのことを考え続けて
胸が張り裂けそうになった頃、
カイルは、
レイラの小屋に到着しました。
庭先に干してある白いシーツと
枕カバーの向こうに、
女性の影が映ると、
カイルは落胆と安堵を
同時に味わいました。
ようやく人の気配を感じたのか
レイラがシーツの横から
そっと顔を出しました。
レイラの目が丸くなりました。
ピクピクし続けた唇の間から
「・・・カイル」と漏れ出た声は、
この困った状況を忘れさせるほど
甘いものでした。
テーブルの前に座ったカイルは
長い間、黙っていましたが、
ため息をつくように、
レイラに謝りました。
向かい側に座って
指先を見下ろしていたレイラは
びっくりして目を上げました。
本当に申し訳ない。
自分が悪かったと謝るカイルに
レイラは当惑し、
そうではないと返事をし
首を横に振りました。
カイルは、
嘘をついてしまったことと
全て自分が悪かったことを
謝りましたが、レイラは、
そんなことはない。
カイルのことを、
少しも怒っていないし
寂しがってもいないと返事をしました。
カイルは、
レイラが自分を避けている
自分でも知らない他の理由があるのかと
尋ねました。
レイラは、
カイルが自分の家族のような友達で
そんなカイルが大好きだから
自分たちは、もう少し
距離を置いた方がいいと思うと
答えました。
レイラは平然と笑おうと思い
口の端を引き上げましたが、
カイルの表情を見ると、あまり、
成功しなかったようでした。
あの夜の夢のようなパーティーで
レイラは、
友達という理由で、これまで忘れていた
カイルと自分の間に引かれている、
越えられない線を見ました。
カイルが自分と不釣り合いな
立派な家の子息であることは
すでに知っていたましたが
その漠然とした考えと現実に
大きなギャップがありました。
あの日、公爵邸で見た、
地位の高い貴族の家門とも
気兼ねなく交わることができ、
あまねく尊敬される
医師の家門の後継者であるカイルは、
明らかに、その線を越えた世界に
住んでいる人でした。
そして、そのカイルは、
もはや、レイラと遊んでいた
子供ではありませんでした。
どうして子供は、
大人にならなければ
ならないのだろうか。
その夜、脱いだ靴を手に取って
歩いている間、レイラは、
その悲しみを噛み締めました。
そして、レイラは、
時間を受け入れることと、
その時間の中でも、
大切な友達を守れる道を
受け入れることに決めました。
カイルは、
いつもより低く落ち着いた声で、
今、レイラが
とんでもないことを言っているのを
知っているよねと尋ねました。
レイラは否定し、
これは自分の本心だと伝えました。
カイルは、
好きなのに、なぜ離れるのかと
尋ねると、レイラは、
そうすることで、
いつまでも良い友達でいられる。
自分はカイルを失いたくないと
答えました。
誰がレイラを失いたがっているのかと
尋ねるカイルの瞳が揺れました。
彼は、他でもない自分たちが
なぜ、そうするのか。
それは不可能だし、
絶対にレイラを失うつもりはないし
離れたりしないと答えると
力いっぱい拳を握りました。
それはできないと言う代わりに
レイラは微笑みました。
そして、もう大人になる時だからと
棘のような言葉を飲み込み
勇ましく立ち上がったレイラは
嘘をついたことを謝る意味で、
とても美味しい昼食を
作ってあげると言いました。
もう除隊して、家門のことに
集中してもいいのではないかと
リエットはマティアスに尋ねました。
椅子に座って本を読んでいた
マティアスは、
ページをめくりながら、
一、二年は、近衛隊で過ごすのも
悪くないと答えました。
この蒸し暑い夏の午後に、
自分の寝室にいるのに、
マティアスはジャケットを着て
ネクタイまで締めていました。
リエットは、
確かに、それが
ヘルハルト家の伝統だ。
マティアス・フォン・ヘルハルトは
どんな先祖よりも
完璧なヘルハルト公爵になるだろうと
呟き、くすくす笑っている間に
鳥かごの中で
おとなしく遊んでいたカナリヤが
飛んで来て、
マティアスが読んでいる本の上に
降りました。
さえずる鳥をじっと眺めていた
マティアスの顔に、
優しい笑みが浮かびました。
眉一つ動かさず
鳥たちを撃ち殺していた彼を
長年見てきたリエットの目には、
かなり驚くべき光景でした。
リエットは、
その鳥が必ずメスであることを願う。
そうでなければ、
かなりいやらしい構図だと思うと
言って、笑いました。
マティアスは、何の返事もせず
鳥に手を差し出しました。
小鳥は、彼の指先に
そっと嘴を擦りました。
リエットは、
マティアスの向かいの席に座り
刺繡をしているクロディーヌに、
君も、そう思うよね?と尋ねました。
クロディーヌは
マティアスとその鳥を
しっかり見ていましたが
リエットと目が合うと、
うっすらと笑みを浮かべ、
歌声の美しい鳥は、
だいたいオスだそうだと答えました、
リエットは、
ただのメスだと信じてやろう。
あれがオス同士だと思うと
鳥肌が立つと、いたずらっぽく
身震いしました。
クロディーヌは、
どうってことない。
ただの鳥だと言いました。
マティアスは、
本の上を飛び跳ねていた鳥が退くと
ようやくページをめくりました。
鳥が彼の手や肩など、
軽く触れながら飛び回っても
気にしない表情でした。
リネットはクロディーヌに、
婚約パーティーで、
黄色いドレスを着てみるように。
ヘルハルト公爵が、
あの鳥のように
可愛がってくれるかもしれないと
勧めました。
クロディーヌは、すぐに拒否すると
自分は、黄色が嫌い。
なんだか下品だからと
少し笑いを交えながら答えました。
何も考えていないふりをして
的を射たリエットの口元にも
妙な笑いが浮かびました。
彼は話題を変え、
もうすぐ、クロディーヌは
皇女に勝った淑女になるだろうと
言いました。
クロディーヌは、
そんな褒め言葉は恥ずかしいと返事をし
眉を顰めながらも、
華やかに笑いました。
ベルクの皇帝が、ヘルハルト公爵を
婿にしたがっているのは
公然の事実でした。
皇帝は、この上なく末娘を愛し、
さらに彼女は、
「社交界の花」と呼ばれるほど
美しい淑女でした。
幼い頃から、
アルビスの女主人の座は
自分のものだと思ってきた
クロディーヌも、皇女にだけは
危機感を覚えました。
しかし、結局、
クロディーヌが勝ちました。
もちろん愛ではありませんでした。
ヘルハルトは、
皇帝の家門より長い歴史と
それに劣らない富と名誉を持った
家門でした。
皇女を公爵夫人の席に座らせて
得る利益より、それによって
甘受しなければならない不便の方が
大きいと判断したからでした。
そんな傲慢さも、
ヘルハルトの名前の前では
理解されました。
ヘルハルト家が
クロディーヌを選んだのは
後継者のいない名高い伯爵家の
一人娘なので、皇女に劣らず
立派な血統と持参金を持ちながら
皇女のように、
もてなさなくてもいい嫁だと
判断したからでした。
しかし、その内幕がどうであれ
婚約式が行われれば、
クロディーヌの名前は、
皇女より高位になる。
そう考えると、クロディーヌは
この世の全てを、
あの浅はかな小鳥までも
愛せるような気がしました。
リエットは、
二人の婚約式が目前だなんて
妙な気分だと言いました。
静かに彼を見ていたクロディーヌは
刺繍を再開しました。
レイラはカイルに対し
友達以上恋人未満の気持ちを
抱いているけれど、
もしも、これが恋に発展すれば、
悲しい別れが待っていると考え
このまま友達のままでいることを
望んだのではないかと思いました。
黄色と聞いてクロディーヌは
レイラを連想し、
もしかしてリエットも
何となく気づいている?
浅はかな小鳥も、レイラのことを
言っているのですよね。
皇女にも勝ったクロディーヌが
孤児のレイラを意識しているなんて
あり得ないけれど、クロディーヌは
自分が思っている以上に
レイラに危機感を
抱いているのかもしれません。
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いつもたくさんのコメントを
ありがとうございます。
ぺこちゃん様
前話で、マティアスが
カイルにエスコートされた
レイラを見た時の
マティアスの感情を「惨め」と
したのですが、
元の単語の意味は
むさくるしい、汚らしい、
みすぼらしい、
くだらない、 つまらない、など
色々あり、
みすぼらしい→惨め
かな?と思ったのですが、
むさくるしいを言い換えると
下品というのもあったので
もしかして、
下品な感情かもしれません。
とりあえず、下品に訂正し、
マンガで、どのように訳されるか
待つことにします。
「あの時、自分を
許さなければ良かった」の
あの時について、
記載はなかったのですが、
私も、ぺこちゃん様同様、
夜中に離れに
忍び込んだ時のことではないかと
思いました。
それでは、次回は
火曜日に公開します。