997話 外伝106話 サーナットにぴったりくっ付かれて、皇女ラティルとラティルはドキドキしています。
◇ボタン◇
サーナットが着ている服の
ボタン一つ一つまで感じられて、
皇女ラティルは、まともに
眠ることができませんでした。
もはや寒さは、
問題ではありませんでした。
皇女ラティルは、
どうしても眠れないので、
わざと何でもないふりをして
サーナットを呼びました。
しかし、「はい」という
サーナットの返事をする声が
鼓膜に深く染み込むと、
皇女ラティルは、
口を閉じてしまいました。
恥ずかしいので、
少し離れてと言うのも
照れくさかったし、
彼が離れてくれればいいと
思ったりもしました。
その一方で、
離れると寒いとも思いました。
サーナットは、後ろから、
なぜ、話そうとして
止めてしまったのかと尋ねました。
皇女ラティルは首を横に振り、
目をギュッと閉じましたが、
依然として、眠りは訪れず、
結局、ラティルは
よく、眠ることが
できませんでしたが、
そうするうちに、いつの間にか
密集した木の葉の間から
日差しが降り注いでいました。
皇女ラティルは
背中が寂しいことに気づいて
飛び起きました。
サーナットを呼ぶや否や、
彼は、ある木の後ろから
水筒を持って現れました。
目が覚めたのかと尋ねるサーナットに
ラティルは、
どこへ行って来たのかと尋ねました。
サーナットは水筒を振って、
皇女ラティルに渡すと、
新しく汲んで来たので飲むようにと
勧めました。
ラティルは、
サーナット卿は飲んだのかと
尋ねると、彼は、
自分は飲んで来たと答えました。
ラティルは、嘘だと主張しましたが
サーナットは、本当だと
返事をしました。
皇女ラティルは、サーナットが
昨日も水を飲んでいないと
問い詰めようとしましたが、
サーナットのボタンを見ると
顔が熱くなり、
急いで横を向きました。
ラティルが、
「信じます」と返事をすると、
横で小さく笑う声がしましたが、
皇女ラティルは、
そちらを向くことなく
水だけを飲みました。
ラティルは水を飲み干した後、
横を見ると、
サーナットは、集めておいた葉を
あちこちに散らばしていました。
皇女ラティルが、
何をしているのかと尋ねると、
サーナットは、
自分たちが居た痕跡を消している。
兵士たちが、捜索犬を連れて来たら
無駄だけれどと答えました。
皇女ラティルは、
飲み終わった水筒を
お守りのように手に握り
唇を噛みました。
慌ただしい一日を過ごしていたために
しばらく忘れていた苦痛が
蘇りました。
サーナットは、
木の葉と土があちこちについた
騎士の制服のマントを
力を入れて振り払っていましたが、
そんな皇女を見て動作を止めました。
そして、
自分はいつも殿下の味方だ。
知っていますよねと確認しました。
皇女ラティルは、躊躇いながら
「うん」と返事をしました。
サーナットは、
メロシーの領地へ着いたら、
しばらく休んだ後に、
黒死神団の傭兵たちと合流して
移動するつもりだ。
そうすれば、
今よりは楽に行けると思うので
安心するようにと言いました。
皇女ラティルは、
自分がそこに行くことで、
サーナットの両親が
困ったことになったらどうしようと
心配しました。
サーナットは、
皇女ラティルの気遣いに感謝し、
もう行こうと促しました。
二人は、再び移動を始めました。
皇女ラティルは、後ろから
犬の吠える声と馬の蹄の音が
聞こえてきそうな気がして、
しきりに後ろを振り向きました。
しかし、すぐには何も見えず
見えるのはハンサムな
サーナットの顔だけでした。
◇放してはダメ◇
メロシーの領地を囲んでいる
高い城壁が見える所に到着すると、
皇女ラティルの肩が、
緊張で少し上がりました。
サーナット卿は
ずっと大丈夫だと言うけれど、
本当に大丈夫だろうか。
メロシー領主と伯爵夫人は
自分が来たら困るだろうと
皇女ラティルは心配しました。
皇女ラティルは我慢できなくなり、
自分はこの辺に隠れているので
サーナット卿が自分の所へ
傭兵を送ってくれないかと
頼みました。
しかし、皇女ラティルは、
すでに、同じ頼みを、
10回は繰り返していました。
サーナットは、
どうして、こんなに
心配が多くなったのかと
皇女ラティルをからかうと、
マントに付いた帽子を、
頭にかぶせてやりました。
皇女ラティルは、
あまりにもサーナットが
心配しなさ過ぎだと思いました。
しかし、サーナットは、
何も考えていなかったのではなく、
城壁付近に到着すると
馬から降りようと言った後、
馬だけをどこかへやりました。
馬は城門を越えることなく
道沿いを走り続けました。
皇女ラティルは、
何をしたのかと尋ねました。
サーナットは、敵に、
自分たちが領地に入らずに
通り過ぎたと
錯覚させようとしていると
答えました。
皇女ラティルは、
騙されるだろうかと心配すると、
サーナットは、
追手が分かれる可能性はあると
答えました。
それだけではなく、
サーナットは城門を通過する時、
自分が領主の後継者だということを
示さず、
突拍子もない名前が刻まれた身分証を
差し出しました。
二人が無事に城門を通過すると、
皇女ラティルは
サーナットの腕を振りながら、
他人の身分証明書を持ち歩く理由を
尋ねました。
サーナットは、
念のためにと答えました。
皇女ラティルは
理解できませんでしたが、
サーナットは、
長々と説明してくれませんでした。
皇女ラティルが、
相次いで質問をしても、
彼は毅然としていました。
皇女ラティルの
止まらなかった質問は、
領主の城の前に到着すると、
ついに終わりました。
皇女ラティルは、
やはり自分は入らない方が
いいのではないかと遠慮しましたが
サーナットは、
大丈夫。去る時は、
自分が両親と喧嘩して
追い出されたように装うからと
返事をしました。
しかし、皇女ラティルは、
去る方法が問題なのではなく、
入る方が問題なのではないか。
サーナットの両親が
自分を見たら驚くだろうと
心配しました。
しかし、皇女ラティルの全ての心配は
何の役にも立ちませんでした。
メロシー領主は、サーナットが
皇女ラティルを連れて現れると、
何も言わずに頷きました。
伯爵夫人も、
悲しそうな表情でしたが、
ラティルを嫌がらず、
サーナットを叱責することもなく、
彼に事情を聞くことも
ありませんでした。
皇女ラティルは、当惑しながら
客間に留まりました。
メロシーの領主夫妻の人柄は良いけれど
あまりにも寛大に接してきたため、
皇女ラティルは、むしろ怪しく思えて
まともに休めませんでした。
皇女ラティルは、
森で一日、過ごしたため、
体が気持ち悪くて、入浴はしたけれど
ベッドやソファーに座ることができず
カーペットにしゃがんで
剣を横に置きました。
そして、その状態で身動きもせずに
父親のことを考えていましたが、
サーナットが入って来て
ようやく立ち上がりました。
サーナットは、
食べ物の皿を三枚乗せたトレーを
手に持っていました。
彼は、
何か食べなければと勧めると、
丸いテーブルにトレーを置き、
皇女ラティルに、
手を差し出しました。
皇女ラティルは暗く沈んだ顔で
首を横に振り、
食欲がないと返事をしました。
サーナットは、
微妙な笑みを浮かべて、
片手に皿、
片手にスプーンを持ちながら、
殿下が幼い時、
食欲がないと甘えた時は、
自分が直接食べ物を、一つ一つ
フォークやスプーンですくって
食べさせた。
すると、殿下は
鳥のように食べたのを
覚えているかと尋ねました。
皇女ラティルは、
そんなことはないと嘘をつくと
スプーンを奪いました。
サーナットは、にやりと笑って
スープ皿を差し出しました。
そして、
そこで食べたければ、
そこで食べてもいい。
こぼしても見て見ぬふりをすると
言いました。
スープから、
甘い砂糖の匂いがしました。
皇女ラティルは、
黙ってスープをすくいました。
スープを半分くらい飲むと、
サーナットは細かく切ったパンを
口の前に差し出しました。
皇女ラティルは
パンを一口食べると、サーナットに
彼の両親は自分の話をしないのか。
自分を連れて来た理由を
問い詰めたりしないのか。
困ったことになったと、怒ったり、
サーナット卿を叱ったり
していないのかと、
我慢できずに尋ねました。
サーナットは、
殿下をよく補佐しろと言われたと
答えました。
その言葉に、
落ち込んでいた皇女ラティルの目が
丸くなりました。
サーナットはにっこり笑って、
皇女ラティルの口についたパンくずを
拭うふりをしました。
皇女ラティルは恥ずかしくて
袖で、自分の口を、
やたらとこすりました。
そうしているうちに、
サーナットの温かい瞳と目が合うと
皇女ラティルは、
予想外に心臓がドキドキして
視線を落としました。
サーナットは、
どうしたのかと尋ねました。
皇女ラティルは、
危急な状況なので、
自分の心が少し弱くなったようだと
答えました。
サーナットは、
その理由を尋ねました。
皇女ラティルは、
サーナットの目を見て、
こんなにそわそわするなんて
自分がおかしくなったようだと
思いました。
皇女ラティルが返事をせずに
目を横に動かすと、
サーナットの顔が、
そちらに付いて来ました。
再び横で目が合うと、
皇女ラティルは、
さらに心臓がドキッとして
彼を押してしまいました。
皇女ラティルはカッとなり、
サーナット卿は、
こんな時までふざけていると
怒りましたが、
むしろサーナットは笑い出し、
自分たちは
一緒に逃走する間柄なのに
殿下が自分の目も見ないからだと
言い訳をしました。
皇女ラティルが、
カレイの目をして睨みつけると、
サーナットは、
空の皿を持って、逃げるように
部屋の外に出ました。
そして、今日は、ベッドで
ぐっすり眠るように。傭兵には
明日会えばいいと言いました。
皇女ラティルは、
扉が閉まった瞬間、
ちょっと待ってと言って、
うっかりサーナットを
捕まえるところでした。
サーナットと目が合う時は、
視線を避けていたけれど、
いざ彼が出て行こうとすると
ずっと、そばにいて欲しいと
思いました。
彼が扉の外に出ただけなのに
急に不安になりました。
しかし、幸いにも
声が大きくなる前に、
皇女ラティルは無理やり口を閉じて
手を下ろしました。
扉が閉まると、
彼女は自分の肩を激しく叩きました。
子供でもないのに、
一体何をしているのか。
昨日は危急な状況だったので
一緒に寝ていただけ。
今日も横で寝てくれとは言えない。
皇女ラティルは、
理性的に自分を説得しましたが、
未練のこもった目は
扉から離れませんでした。
サーナットに、
隣で寝ることはできないけれど、
隣の部屋で、寝てはいけないのかと
聞きたいと思いました。
その瞬間。 扉が開き、
サーナットが戻って来ました。
皇女ラティルは目を丸くして
サーナットを見上げると、
急にどうしたのかと尋ねました。
サーナットは、殿下が
自分を呼んだような気がしたと
答えると、皇女ラティルに
何を言おうとしたのかと
尋ねました。
サーナットが聞いていたのを知り
皇女ラティルは顔が赤くなりました。
しかし、何も言えませんでした。
彼に、
隣の部屋で寝てくれないかと
どうやって頼めばいいのか
分かりませんでした。
しかも、昨夜、背中に触れた
彼の服のボタンのことを
また思い出してしまい、
顔が火照りました。
皇女ラティルは手を振りながら
「いえいえ」と返事をすると、
サーナットを押しのけて
外に出しました。
扉が、バタンと音を立てて閉まると
誰かに肋骨を叩かれた気がして、
皇女ラティルは、
深くため息をつきました。
その後、皇女ラティルは、
伯爵夫人が
下女を通じて送って来た
パジャマに着替えて、
無理やり布団の中に入りました。
皇女ラティルは、
メロシー領主と伯爵夫人が
自分を心から歓迎してくれているとは
思いませんでした。
信じていた家族も自分を裏切ったのに
他人の家族が、自分を歓迎するはずが
ありませんでした。
しかし、歓迎していなければ
どうなるのだろうか。
この程度の配慮だけでも
皇女ラティルには
十分ありがたいことでした。
しかし、ベッドに横になっても
皇女ラティルは眠ることができず
寝返りを繰り返しました。
昨日も、
まともに眠れなかったため、
瞼は重かったけれど、努力しても
眠ることができませんでした。
その時、扉を叩く音がしました。
ラティルは入室を許可してから
起き上がると、入って来たのは、
枕と毛布を持ったサーナットでした。
その姿が怪しくて、
どうしたのかと尋ねると、
サーナットはニッコリ笑い、
一人で寝るのはとても怖いので
ここで寝てもいいか。
ベッドの上で寝たりはしないと、
突然、か弱いふりをして尋ねました。
その言葉に、皇女ラティルは
喜んで同意し、
サーナット卿と同じように、
自分もそうだったと言うと
サーナットが突然笑い出したため
皇女ラティルの嬉しい気持ちは
すっかり消えました。
皇女ラティルは、
彼が怖くて来たのではなく、
また自分をからかっているのだと
真顔で指摘しました。
「はい」と
サーナットが素直に認めると、
皇女ラティルは腹を立て、
何か言おうとしましたが、
殿下が怖がっているのではないかと
思って来たと、
サーナットが付け加えると、
皇女ラティルは、
これ以上怒ることができず、
口をぱくぱくさせてから
また閉じました。
サーナットは
「ダメですか?」と尋ねながら
近づいて来ました。
皇女ラティルは布団の中に戻り
勝手にしろと答えました。
また、サーナットの笑い声が
聞こえて来ましたが、
皇女ラティルは、
頭の先まで布団をかぶりました。
しかし、耳は、
布団の向こうから聞こえる
カサコソいう音を
熱心に聞いていました。
そして、とうとう布団越しに
何の音も聞こえなくなった頃、
布団の中の空気が息苦しく感じた
皇女ラティルは、
そっと布団を下ろしました。
部屋の中は、
小さなろうそく一つだけが
灯っていました。
皇女ラティルは、サーナットが
どこに横になっているのかを
探すために、
キョロキョロ見回しました。
しかし、
サーナットは見えませんでした。
もう出て行ったのだろうか。
ここのどこかに
横になっていたみたいだけれど。
扉の開く音もしなかった。
皇女ラティルは
サーナットを探すために
もう少し上半身を
ベッドの外に出したところ
すぐに彼女は
サーナットを発見しました。
彼は毛布をベッドのそばに敷いて、
まっすぐ横になっていました。
しかも、目に笑みを湛えて
彼女を見上げていました。
驚いた皇女ラティルが
急いでベッドに横になると、
サーナットは、笑い混じりの声で
本当に一人で寝るのが怖いようだ。
手でも握ってあげようかと
提案しました。
普段の皇女ラティルは
鋭く冷静に拒否したはずでした。
彼女はサーナットが、
自分をからかっても、
決して巻き込まれませんでした。
でも今日は本当に
一人で寝たくありませんでした。
彼女は答える代わりに
ベッド越しに、
手をさっと差し出しました。
サーナットは、すぐに
皇女ラティルの手を握りました。
皇女ラティルは、
手を握られただけなのに
彼の胸に抱かれた気がしました。
彼の手は大きくて
ほかほかしていました。
皇女ラティルは、
自分の手を包んでいる
大きな手をじっと見つめながら
絶対に放してはダメだと囁きました。
おそらくサーナットも、
追手が迫っていることに
危機感を抱いていると思います。
けれども、
彼は皇女ラティルの騎士で
彼女を守らなければならないので
決して、
そんな気配をみせるわけには
いかないのだと思います。
彼が皇女ラティルをからかうのは
彼女を怒らせることで
彼女の緊張感を和らげたり、
不安や恐怖を解消したりすることを
期待しているのではないかと思います。
また、彼の照れ隠しの効能も
あるように思います。